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大阪高等裁判所 昭和56年(ネ)569号 判決

控訴人 有限会社 弘和観光

右代表者代表取締役 長井義輝

右訴訟代理人弁護士 岸本昌己

同 岸本洋子

同 小林廣夫

被控訴人 中垣晃明

右訴訟代理人弁護士 田中成吾

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し、金六〇〇万円およびうち金一五〇万円に対しては昭和五四年九月一七日から、うち金二〇〇万円に対しては同年一〇月一七日から、うち金二五〇万円に対しては同年一一月一五日から各支払済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ一〇分し、その九を控訴人の、その余を被控訴人の負担とする。

この判決は被控訴人勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張と証拠の関係は、次のとおり付加訂正するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決の訂正《省略》

二  控訴代理人の主張

1  長井耕治(以下訴外耕治という。)は、控訴人経営のカーホテル「土師(はぜ)」(以下本件ホテルという。)の営業上必要な日用品等で一万円を超えない程度の小額の物品の購入については代理権限はあったが、右営業に関しては全く代理権はなく、支配人、番頭、手代その他の商業使用人にあたるものではなかった。

すなわち、手形、小切手行為をはじめ、本件ホテルの宿泊・利用料金の決定と改訂、什器備品・諸設備の設置、補修、変更等については勿論、従業員の雇傭、給与の決定と変更その他本件ホテル営業における基本的な事項の決定及びこれに伴う対外的な取引に関する事項は、すべて社長である控訴人会社代表取締役の専権に属し、訴外耕治にはその権限はなかったものである。

2  また訴外耕治は、控訴人会社の表見支配人(商法四二条)にあたるものでもなかった。

(一)  もともと本件ホテルは、控訴人の単なる営業の場所にすぎず、支店としての営業所たる実質を備えていない。

すなわち、本件ホテルは客室は僅か九室で、従業員は訴外耕治以外には数名の女中しかいない小規模な宿泊施設にすぎず、控訴人会社(それは、代表取締役の自宅を本社とし、本件ホテル以外には不動産の売買、仲介業を右代表取締役が一人だけで事務員もおかずに営んでいるだけで、会社といってもその実態は全くの個人企業にすぎない。)の代表取締役自身が本件ホテルに赴いて自ら営業全般につき具体的に決定し、訴外耕治をはじめとする従業員を直接指揮監督しており、右従業員らはこれに機械的に従うだけで、本件ホテルにはその営業全般につき包括的な代理権を有する商業使用人がおかれたことはなかったし、会計的にも本件ホテルに独自のものはなく、本店から離れて独自に営業活動を決定したり、対外的な取引をなしうる組織はなく、ただ所定の基準に従って機械的に料金を算出受領するなど控訴人会社代表取締役の決定に従って事実行為ともいうべき取引を行っていただけであったからである。

(二)  控訴人会社代表取締役は、訴外耕治に対し、「支配人」その他営業の主任者であるかの如き名称、肩書を賦与したことはなく、この点からも訴外耕治は表見支配人にはあたらない。

3  仮に訴外耕治が表見支配人にあたるとしても、控訴人は原判決別紙約束手形目録記載の手形(以下本件手形といい、そのうち一部の手形だけを指すときは、適宜右目録の進行番号をとって本件1の手形などと略称する。)の振出人としての責任を負わない。けだし、商法四二条にいう「本店又は支店の支配人と同一の権限」とは、右の本・支店の支配人において有すると一般に考えられる権限及び右権限事項と直接関連する事項についての権限と解される。ところが本件手形は、いずれも控訴人会社の業務、営業活動(本件ホテルのそれらを含めて)とは全く無関係の目的、手段のために振出されたものであって、実質的にもまた外形上から見ても、商業使用人の権限事項処理のためそれと直接の関連において振出されたものではなく、本来の支配人でもこのような手形を振出せる権限はないからである。

4  被控訴人は、訴外耕治の本件手形振出行為に民法一一〇条を類推適用すべきである旨主張するが、被控訴人には同条に定める正当の理由は存在しない。

すなわち

(一)  訴外耕治は、昭和五二年秋、控訴人会社代表者の銀行届出印の代りに自己の個人印を押捺して控訴人振出名義の金額一〇〇万円の約束手形一通を偽造し、これを被控訴人に交付して割引を受けた。

また訴外耕治は、昭和五四年二月、右と同様に控訴人会社代表者の銀行届出印の代りに自己の個人印を押捺して偽造した控訴人振出名義の約束手形二通(乙第一四、第一五号証の金額合計四五〇万円の手形)について、被控訴人に依頼して裏書人として署名捺印をして貰ったうえ、これらを島栄産業株式会社(以下島栄という。)に交付してその割引を受けた

被控訴人はこれらの割引や裏書の際、当然これらの手形を見分して右のような振出人の異常な印影の状況を知り、そこに不自然さを感じていたものというべきであるから、注意すれば訴外耕治に手形振出の権限がなかったことを直ちに知り得た筈であるのに、被控訴人がこれを知り得なかったとすれば過失がある。

(二)  その後訴外耕治は、同様の方法により、何回か控訴人振出名義の約束手形を偽造し、これらについて前記と同様にして被控訴人の裏書を受けたうえで、島栄に持参して同会社から割引を受けており、これらのうち最後のものが本件1、2、4の手形である。

(三)  また、岸本某は、訴外耕治の口添えで被控訴人から二〇〇万円を借受けていたところ、被控訴人は、昭和五四年七月ごろ、金森龍雄を通じて訴外耕治に対し右岸本の残債務の支払を要求したため、訴外耕治は、いずれも金額一〇万円の控訴人振出名義の約束手形を多数偽造して被控訴人に交付した。被控訴人は、右手形の振出が全く控訴人の利益のためではないことを十分知っていたのであるから、訴外耕治に果たしてその振出権限があるのかにつき、疑念を抱くのが当然であった。

(四)  被控訴人は、これより先の昭和五三年末ころ、訴外耕治から紹介を受けた斉藤弘に対し二〇〇万円を貸付け、同人が振出し訴外耕治が保証の趣旨で裏書した金額一〇〇万円の約束手形二通を受領したが、そのうち一〇〇万円は返済がないままとなっていた。ところが昭和五四年八月一三日ごろ、訴外耕治が前記(二)のとおり被控訴人の許に本件1、2の手形を持参してその裏書を依頼したのに対し、被控訴人は前記未返済金一〇〇万円の支払をしなければ裏書はできないと断ったので、訴外耕治は、止むを得ず本件3、5の手形と他に金額四〇万円の約束手形(以上三通の金額の合計は一〇〇万円になる。)を偽造して被控訴人に交付したところ、被控訴人は本件1、2の手形の裏書人欄に署名捺印して訴外耕治に交付した。右の経過から明らかなとおり、被控訴人は、本件3、5の手形の振出が控訴人の利益に反するものであって控訴人がこれをなすべき理由がなく、右振出はひとえに訴外耕治が自己又は斉藤、ひいては被控訴人の利益のためにしたものであることを十分認識していたものであり、右振出につき訴外耕治が控訴人を代理・代行する権限がないことを十分認識していたものである。仮に被控訴人が訴外耕治に右権限があると信じていたとすれば、右のような事情のもとでは被控訴人に過失があるといわなければならない。

〈以下、事実省略〉

理由

一  《証拠省略》によると、訴外耕治は、控訴人会社の経営する本件ホテルで昭和四七年ごろから昭和五四年八月末まで勤務していたが、同五四年二月ごろ、かねて控訴人会社代表者が株式会社京都銀行福知山支店及び北京都信用金庫福知山支店に当座取引に使用するものとして届出ていた印章(銀行届出印)に酷似した印章(以下本件偽造印という。)を知り合いの文具店に作らせ、これを隠し持っていたこと、そして訴外耕治は、同年八月ころ、かねて用意していた前記金融機関発行の手形用紙の振出人欄に、訴外耕治が保管し控訴人会社が小切手の振出に使用していた控訴人代表者の記名印と、その横に本件偽造印を押捺して、拒絶証書作成義務免除のある本件手形を作成したこと、そして訴外耕治は、同月一三日、そのうち本件3、5の手形を被控訴人に交付し、同時に本件1、2の手形を被控訴人に呈示して、被控訴人の裏書がないと島栄が本件1、2の手形を割引いてくれないからといってその裏書を求めたので、被控訴人は右手形二通に裏書をしたうえ訴外耕治に返したところ、訴外耕治は右手形を島栄に持参して割引を受けたこと、同月二八日、訴外耕治は、被控訴人に本件4の手形を呈示して、右と同一の理由を述べてその裏書を求めたので、被控訴人は右手形に裏書をしたうえ訴外耕治に返したところ、訴外耕治は右と同様に島栄で割引を受けたことが認められる。そうすると、訴外耕治は、本件手形の振出につき控訴人を代行できる権限の有無はさておき、控訴人を代行して被控訴人に対し本件手形を振出したものというべきである。

二  そこで訴外耕治に控訴人を代理・代行して本件手形を振出す権限があったか否かについて判断する。被控訴代理人は、本件ホテルは控訴人会社の支店であって、訴外耕治はその支配人にあたる、仮にそうではないとしても、本件ホテルにおける営業上の一切の事項について包括的な代理権を与えられていた最上位の商業使用人で、商法四三条にいう番頭にあたるから、本件手形を振出す権限があった旨主張するので、検討すると、《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  控訴人は、不動産の売買及び仲介、旅館営業、金融の斡旋及び貸付(ただし金融業の免許、許可は受けていなかった。)その他これらに付帯する一切の業務を目的とする会社であるが、昭和四七年ごろ、控訴人会社代表取締役長井義輝(以下代表者という。)は、本店所在地の西脇市内で控訴人の営業である不動産売買等に従事するかたわら、個人でも織物業を営んでいたところ、同年三月、控訴人会社は、本件ホテルを購入し、代表者の実弟の訴外耕治を同ホテルの従業員として住込みで働かせた。同ホテルはいわゆるカーホテルで、客室は九室、従業員は五、六名であるが交代制がとられそのうち就業時間中に出勤し勤務に就いている者は常時二、三名だけであり、右従業員中男子は訴外耕治だけ(もっともある時期には訴外耕治の非番の間だけその職務を代行する男子従業員がいたこともあった。)であった。そして、訴外耕治が代表者から委せられていた業務は、いわゆる帳場として、客が女子従業員に支払った宿泊利用料金等を右従業員から確認のうえ受領して保管し、取引金融機関の普通預金口座に預入れること、売上、現金出納に関する記帳、銀行届出印、手形、小切手用紙の保管、少額の業務用日用品の購入等のほか、女子従業員に対する指揮監督、勤務時間の指定などであったが、そのほか従業員の雇傭、労働条件の決定などについても代表者の相談にあずかり、いわば本件ホテルにおける現場従業員の責任者としての地位にあった。

当時代表者としては、訴外耕治が控訴人を代理して金員を借受けたり、第三者に対し控訴人のために保証を委託したり、また、手形を振出したりする権限を訴外耕治に与えたことはなく、控訴人会社が本件ホテル営業のため自動車、ジュークボックス等を割賦払で購入した時も、代表者自らが右代金支払のため約束手形を振出していた。もっとも、当時代表者は本件ホテルに関する支払を当座を通してする方針をとっていたが、それも代表者自らが毎月二回程度本件ホテルに出張し、出入りの業者からの請求書の内容を逐一検討のうえ小切手を作成し(その際、訴外耕治がチェックライターで金額を記入してこれに協力することもあった。)、これを訴外耕治が集金人に交付して支払をしていた。なお、右小切手の決済資金は、代表者が右の出張の際などに訴外耕治にその都度指示して取引金融機関に赴かせ、支払に必要な額だけ普通預金口座から当座預金に振込の手続をさせてその手当をさせていたもので、代表者自身がこのために取引金融機関に出向くことはなかった。

さらに訴外耕治は、本件ホテルの利用料金額の決定、改訂をする権限もなく、代金額が一万円程度を超える本件ホテルの什器備品等の購入などについても、代表者の承諾が必要であった。

2  右のような状態で本件ホテルの営業が継続されるうち、訴外耕治は、昭和五二年八月ころ、カーホテル営業に有益であるとの業者の勧めに従い、後日代表者の承諾が得られるものと見越して、本件ホテル内でのサウナ風呂設備工事を発注し、後日代表者がそのことを知った時には既に工事が進行してしまったため、この既成事実を承認して工事代金を支払わざるを得ない事態に立ちいたったことがあった。そこで、これを契機として、代表者は、訴外耕治に対し、今後独断でこのような行為をしないよう厳重に戒めるとともに、同様の事態の再発を防止し訴外耕治が無断で手形の振出をなし得ないようにするため(訴外耕治は前記工事代金の割賦払のため約束手形の振出を約していた。)、訴外耕治に保管させていた銀行届出印及び京都銀行福知山支店発行の小切手用紙を取り上げ(右小切手用紙は、本件ホテルの営業経費支払のため使用する必要もあった。)、自己が直接保管するため西脇市の控訴人会社本店に持ち帰った。

なお、この時点では、控訴人会社が前記自動車やジュークボックスの代金割賦払に使用するため前記銀行から受取っていた手形用紙の残りがあったが、訴外耕治は代表者に対しこれらは既に処分したと偽り、そのままこれを手許に残しておいた。また、その当時代表者は、控訴人会社が先に北京都信用金庫福知山支店から交付を受けていた小切手用紙の残りがあることは知っていたが、銀行届出印がないかぎり右用紙を使用して小切手を振出すことは不可能であると考え、訴外耕治から右残りの用紙を取り上げることはしなかった。

以上の事実認定について、被控訴代理人は、控訴人代表者は取引銀行から送付された当座預金台帳の写しを見て、訴外耕治が本件手形などを振出していたことを当然知っていた筈であるのに、なんらの措置を取っていないのは、訴外耕治に手形振出の権限を与えていたからである旨反対の主張をするが、前顕各証拠によると、控訴人代表者は、本件ホテルに出張の際その金銭出納を調査し、売上げが正確に記帳されていることを確認し、出入りの業者からの請求書の内容を検査し、その支払に必要なだけの資金を当座に振込んだうえこれに見合うだけの金額の小切手を自ら振出して経費の支出にあたっていたので、当座の残高が不足することは通常予想していなかったことなどから、京都銀行福知山支店から送付された当座取引照合表を検分する必要を感じなかったことと、控訴人代表者は昭和五四年二月までは住居の移転のため多忙であったため、本件手形の訴外耕治による振出の事実が発覚するまで右の当座取引照合表を検分することはしなかったこと、また北京都信用金庫福知山支店は当座取引照合表を本件ホテル宛に送付するか又は訴外耕治に交付していたため、控訴人代表者の許には届かなかったことが認められるから、控訴人代表者が昭和五四年八月末以前に訴外耕治の手形振出をとがめなかったとしても、この事実を知ってこれを容認していたものとは認められないので、これをもって前記認定を左右することはできない。

また被控訴代理人は、控訴人の銀行届出印は昭和五二年九月以降も訴外耕治が保管していた旨主張するが、前顕各証拠によると、訴外耕治は、前記認定のとおり昭和五四年二月本件偽造印を入手するまでは、控訴人の銀行届出印と相違することが誰の目にも明白な「長井耕治」と刻した自己の実印をとりあえず押捺することによって控訴人名義の手形や小切手を偽造して振出し、それが取引銀行に取立てに回された後において、たまたま控訴人代表者から銀行届出印を普通預金の当座預金への振替手続のために預った際に代表者に無断でこの届出印を押し直すなどの方法をとっており、そして本件偽造印入手後は、これを用いて多数の偽造手形を順次作成振出している事実が認められるから、被控訴代理人の右主張は採用できない。

《証拠判断省略》

そして、他に前記1、2の認定を覆えすに足りる証拠はない。

そこで、以上の事実を総合して判断すると、訴外耕治は、控訴人を代理して利用客との間で本件ホテルの宿泊利用契約(それは、カーホテルの性格上内容が単純で定型的であったと考えられる。)を機械的に締結すること、その他物品の購入、金銭の出納等の権限を有してはいたものの、本件ホテルの営業上重要な事項については、代表者の決定したところを単純に執行していただけであって、内部的な決定権銀も対外的な代理権限もなく、もちろん手形小切手の振出権限もなかったものといわなければならない。してみると、たとえ本件ホテルが控訴人会社の支店とみられうる外観を呈していたとしても、訴外耕治は実質上の支配人として営業主に代って本件ホテルにおける営業上の一切の行為をなしうる包括的な代理権がなかったのであるから、被控訴代理人の訴外耕治が商法三八条に定める支配人にあたるとの主張はこの点で失当であり、また被控訴人が同条三項に定める善意の第三者にあたるとの主張も失当である。

また、前記二12に認定したところによると、訴外耕治は、本件ホテルの営業のうち或る種類又は特定の事項については控訴人代表者の委任を受けていたといえるから、商法四三条に定める番頭、手代その他の商業使用人にあたるけれども、右の代表者からの受任事務は、他人に対する信用の供与ないしは債務の負担とその履行とは関係がない性質のものであるから、右のことから訴外耕治が自己の裁量で手形を振出す権限を与えられていたなどと速断することはできない。したがってまた、被控訴人が商法四三条三項によって準用される同法三八条三項に定める善意の第三者にあたるということもできない。

そして、他に控訴人代表者が訴外耕治に対し控訴人を代理、代行してその名義で手形を振出す権限を与えたことを認めるに足る証拠はない。

三  次に、被控訴代理人は仮定的に、訴外耕治は表見支配人にあたると主張するが、営業主の控訴人会社が訴外耕治に対して支配人など本件ホテル営業の主任者たることを示すべき名称を付与していたことを認めるに足りる証拠はない。もっとも、前記二冒頭に掲げた各証拠によると、本件ホテルの従業員らが訴外耕治を支配人、マネージャー等と呼んでいたことが認められるけれども、前記二1、2に認定したところと《証拠省略》によると、訴外耕治が本件ホテルの現場従業員の指揮監督にあたっていたところから、右従業員らの間で自然発生的に訴外耕治を前記のように呼称するに至ったものにすぎないのであって、控訴人代表者が訴外耕治に支配人、マネージャーその他営業の主任者たることを示すべき名称を付与し、或はそのような名称の使用を許したことのないことが認められるから、実際上右のように呼称していた事実があるからといって、直ちに訴外耕治を表見支配人であると認めることはできない。

四  被控訴代理人は、仮に以上の主張が理由がないとしても、訴外耕治の本件手形振出は同人の代理、代行権限を越えてなされたものであって、しかも被控訴人が訴外耕治からその振出を受けるに際して同人にその権限ありと信じるにつき正当な理由があったから、民法一一〇条の類推適用により、控訴人は被控訴人に対し本件手形の振出人としての責任を負わなければならない旨主張する。

ところで、訴外耕治には前記二に認定の範囲で本件ホテル営業に関して物品購入、金銭出納(普通預金の預け入れを含む)、利用客との宿泊利用契約締結などについて控訴人を代理する権限があったことは先に説示したとおりである。

そこで、被控訴人において民法一一〇条に定める正当の理由があったか否かの点について検討するのに、《証拠省略》によると、次の各事実が認められる。

1  被控訴人は、昭和四八年ごろ、その所有の山林を控訴人に売却したことからこれに関係した訴外耕治と知り合い、その後同人は被控訴人経営の喫茶店に出入りしていた。

2  そのうち訴外耕治は、被控訴人に対し、控訴人会社の当座の残が少し不足するので一週間か一〇日間貸してくれといって、被控訴人から、昭和五〇年ころ以降半年に一度位の割合で、一回に三〇ないし五〇万円位を借り受け、その後昭和五二、三年ごろからは二、三か月に一度位の割合で一回に五〇ないし一〇〇万円位を借り受け、その都度訴外耕治が控訴人代表者に無断で作成した控訴人会社振出名義の約束手形を被控訴人に預けるとともに、これらの手形を取立てに回すまでもなく満期までに現金を届けると約束し、そのとおりに実行し右借受金を返済していたので、被控訴人はこれと引換えに前記のとおり預っていた約束手形を訴外耕治に返却していた。もっとも、一部には、控訴人会社振出名義の支払期日昭和五三年一〇月二五日、金額一〇〇万円の約束手形一通のように、被控訴人が訴外耕治の指示により銀行取立に回し、決済されたものもあった。

3  ところで被控訴人は、昭和五三年後半か翌年始めころ、訴外耕治の保証により、斉藤弘に二〇〇万円を貸付け、その返済方法として同人からいずれも同人が振出し訴外耕治が裏書した金額一〇〇万円の約束手形二通を受取り、さらに右両名が持参した骨董品を担保として預ったところ、斉藤弘からはそのうち一〇〇万円が返済されたものの、残額については訴外耕治が右担保物件を処分して返済するといってこれを持ち帰ったのにもかかわらず、結局いずれからもその返済がなかった。

4  訴外耕治は、昭和五四年二月ころ以降再三にわたって、控訴人会社振出名義の約束手形(実際には訴外耕治が控訴人代表者に無断で作成したもの)を持参して、被控訴人に対し、控訴人会社の金の遣り繰りに不足を生じたのですぐに返えすからといって、右の手形の割引により一〇〇万円とか二〇〇万円の融資をするよう執拗に求め始め、被控訴人も止むなく一、二回はこれに応じたけれども、その他は資金の都合上右申し出を断っていた。ところが、それでもなお訴外耕治において融資の途を求めたときには、被控訴人は、止むを得ず金融業者の島栄を紹介し、島栄で割引を受けられるように、訴外耕治が持参した前記約束手形に被控訴人の裏書をして同人に交付したので、同人において右約束手形を島栄に持参し、その割引を受けて融資を得ていた。

このようにして訴外耕治が被控訴人の裏書のある控訴人振出名義の約束手形(訴外耕治が控訴人代表者に無断で振出したもの)で島栄から割引を受けたものの手形金の残高は、当初は合計三五〇万円程度であったが、その後右手形の決済や新たな同様の手形割引が繰り返えされた結果、控訴人会社が不渡を出した昭和五四年八月三一日現在の右残高は、本件1、2、4の手形の金額合計六〇〇万円に達するに至った。その間、右のように島栄が割引した控訴人振出名義の手形(実際は訴外耕治が無断で作成したもの)のうち銀行取立により決済された約束手形は、(1) 金額二〇〇万円、支払期日昭和五四年四月二〇日、振出日欄及び受取人欄白地、第一裏書人被控訴人、第二裏書人訴外耕治、第三裏書人島栄(以上いずれも白地裏書)、第四裏書(取立委任裏書)人坪田巌の手形、(2) 金額二五〇万円、支払期日昭和五四年四月二八日、振出日同年二月二〇日、受取人欄及び裏書関係の記載は右(1)の手形と同じ手形、(3) 金額一二〇万円、支払期日昭和五四年八月二四日、振出日欄及び受取人欄白地、被控訴人、島栄、坪田巌(ただし取立委任裏書)と順次記名式裏書の連続ある手形、(4) 金額二〇〇万円、支払期日昭和五四年八月二五日、振出日同年七月二五日、受取人兼第一裏書人被控訴人、その他の裏書関係の記載は右(3)の手形と同じ手形があった。

5  ところで、訴外耕治は、昭和五四年八月一三日、暴力団員の橋下を同行して被控訴人を訪れ、同人に対し、本件1、2の手形を示して、前記4と同様に、控訴人会社の金の遣り繰りに不足を生じたので島栄から割引を受けるのに必要だからといって被控訴人の裏書を求めたのであるが、被控訴人は、訴外耕治が前記3のとおり担保物件を持ち帰ったまま決済をしていない斉藤弘の残債務一〇〇万円を解決しないと右裏書依頼には応じられないと拒絶したところ、訴外耕治は、右一〇〇万円の支払のため本件3、5の手形(いずれも金額三〇万円)二通と控訴人振出名義の金額四〇万円の約束手形一通を被控訴人に交付したので、被控訴人は、本件1、2の手形に裏書をして訴外耕治に交付した。そこで訴外耕治は、本件1、2の手形を島栄に持参し、先に島栄から割引を受けていた金額が二〇〇万円程度の約束手形の支払期日が接近していたので右手形の切り替え分として本件1、2の手形のうち一通を交付し、他の一通は新たに島栄から割引を受けた。つづいて訴外耕治は、同年同月二七日、本件4の手形を持参して、被控訴人に対し、本件1、2の手形におけるのと同様の事情を述べて被控訴人の裏書を求めたので、被控訴人は本件4の手形に裏書をして訴外耕治に交付した。そこで訴外耕治は島栄から右手形の割引を受けた。

6  訴外耕治がこのように控訴人代表者に無断で多数の控訴人振出名義の約束手形を作成、交付するに至ったのは、訴外耕治は、昭和五三年一〇月ごろ知り合った暴力団員の橋下からの要求により、橋下振出の手形に裏書したところ、橋下は期日に右手形の決済ができず、却って訴外耕治に対し右決済のため控訴人名義で手形を振出すことを要求したので、訴外耕治は前記二2に認定したとおり自己の実印を押捺して控訴人名義の約束手形を控訴人代表者に無断で振出したことがあり、これを契機として同様のことが繰り返えされていたが、昭和五四年一月遂に橋下が不渡手形を出すに至って前記の方法での手形偽造では間に合わなくなって困窮したあげく、訴外耕治は前記一に認定したとおり本件偽造印(その印影は、取引銀行すら偽造印によるものとは見破れなかった。)を偽造し、これと真正な小切手の作成・振出に使用されていた控訴人の住所、商号及び代表者氏名のゴム印を用いて控訴人代表者に無断で本件手形をはじめ多数の手形を作成・振出したものである。

しかし被控訴人は、訴外耕治からはもちろんのこと本件手形が権限なくして同人により振出されたものであることは知らされず、真正に振出されたものと信じて同人から交付を受け、本件1、2、4の手形に裏書をして再び同人に交付したものであり、被控訴人が本件手形は訴外耕治により権限なくして振出されたものであることを知ったのは、本件手形の不渡後に、事態解決のため控訴人代表者と会談の際その旨聞かされた時が始めてであった。

7  被控訴人は許可を受けて金融業をも営むものであるが、本件1、2、4の手形に訴外耕治の依頼を受けて裏書をしたことについては、同人や橋下からなんらの対価も受取らず、また対価に関する合意もしていない。

《証拠判断省略》

そして、以上認定の諸事情、特に、控訴人代表者が本件ホテルに殆んどいなかったことと外観上は独立の営業所と見られうる本件ホテル内での訴外耕治の地位、本件1、2、4の手形の振出が外形上は控訴人の利益を図る趣旨に出たものとも見られ、またそれが前記のとおりの訴外耕治の地位からみてその権限の範囲内の事項と解されないではないこと、過去において同様の事情のもとに被控訴人に交付された同種の手形が多数銀行で決済されているなどの事情があること、そして右事情のもとで被控訴人としては、なおかつ訴外耕治の右手形の振出権限の有無につき疑念を抱くべき格別の事情があるとする点は見当らないことなどからすると、被控訴人としては、本件1、2、4の手形の振出について訴外耕治が適法な権限を有するものと信じたとしても無理もないことであって、そのように信じたことについては被控訴人に正当の理由があるものというべきであり、したがって民法一一〇条の類推適用により、控訴人は右各手形の振出人としての責に任じるべきであるし、また、前記諸事情からして、被控訴人において本件1、2、4の手形の振出が訴外耕治の権限濫用、背任的行為であることを認識し又は認識できたということはできないから、民法九三条但書を類推適用すべき根拠はないといわなければならない。

しかしながら、先に認定したところからすると、本件3、5の手形は、控訴人会社とは無関係な斉藤の被控訴人に対する債務につき訴外耕治の負担する保証債務の支払担保ないしは支払方法として振出されたものと認められるところ、このような事情の下では、被控訴人としては、斉藤の債務を事実上控訴人会社が履行することも異とするに足りないような特別の関係が斉藤と控訴人会社間に存在することを認識し、又は少なくとも推測し得る事情にあったのでなければ、果たして訴外耕治が前記手形振出につき代理ないし代行の権限を有しているか否かにつき疑問を抱くのが当然であり、そして控訴人代表者に訴外耕治の右権限の有無を確認することは容易であったと思われる。しかるに、被控訴人において右のような特別の関係の存在を認識していたとか、推測できる事情にあったことを認めるに足りる証拠資料は、本件審理には表われていないのであるから、被控訴人としては、本件3、5の手形の振出については、右のような疑いをもって確認手段を講ずべきであるのに、これをしたものと認めるべき証拠は何もない以上、訴外耕治に控訴人を代理又は代行できる権限があると信じたとしても、かく信じたことについては落度があったものといわざるをえないから、そのように信じるべき正当の理由はなかったものといわなければならない。したがって、被控訴人の控訴人に対する本件3、5の手形に基づく手形金及び法定利息金の請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

なお、控訴代理人は、本件1、2、4の手形の振出の相手方は実質的には島栄であるとして、そのことを理由に被控訴人と控訴人との間では表見代理の規定の類推適用は許されないと主張するけれども、訴外耕治は本件手形を作成して被控訴人に交付し、被控訴人はそのうち本件1、2、4の手形に裏書人として署名捺印して訴外耕治に交付し、同人が島栄に持参してその割引を受け、そして本件手形には受取人として被控訴人の氏名が記載されているのであるから、実質的にも訴外耕治は被控訴人に対して本件手形の振出という手形行為をしたものであり、右振出についての表見代理の法理の適用においてその相手方(第三者)が被控訴人であって島栄でないことは明らかであるから、控訴代理人の前記主張は採用することができない。

五  控訴代理人は、民法一一〇条の類推適用上、被控訴人に正当の理由があることを争うので、以下に判断する。

1  訴外耕治が偽造した控訴人名義の約束手形の振出人欄には、控訴人代表者の銀行届出印の代りに訴外耕治の個人印が押捺されたものがあることは前記二のうち被控訴代理人の「訴外耕治は昭和五二年九月以降も控訴人の銀行届出印を保管していたものと推定される。」旨の主張に対する当裁判所の判断で説示したとおりであり、《証拠省略》によると、被控訴人も訴外耕治から同人の氏名が刻まれた個人印が押捺された約束手形三通を受取りこれに裏書して返戻したことが認められるところ、控訴代理人は被控訴人が右のような訴外耕治の個人印が押捺された手形を受領した事実から、被控訴人は当然訴外耕治の手形振出権限の有無につき疑問を抱きその点を調査すべきであったと主張する。なるほど、振出人名下に一見して他人のものと判る印章が押捺されている約束手形をその他人が交付するのは不自然で右の他人の偽造を窺わせるものではあるけれども、《証拠省略》によると、通常は印鑑相違の事由で決済されない筈の前記約束手形三通がその支払期日(いずれも本件手形の振出前である。)に銀行決済されていた事実が認められるところからすると、被控訴人が右銀行決済の事実を知った(被控訴人は、少なくとも《証拠省略》の手形については、右事実を手形関係上の後者からの遡求権行使を受けなかったことからも窺知できたと思われる。)後は、このような形式不備の手形の決済を控訴人が何らかの形で承認し銀行もこれを認めていたものと考え、その後は訴外耕治の交付する約束手形に同人の個人印が押捺されていることに格別の疑問を抱かなくなったとしても、あながち不注意であったとはいえない。しかも、先に説示したとおり、本件手形に押捺された本件偽造印と真正な銀行届出印とは印影が酷似し取引先の金融機関でも見破ることができなかったのであるから、頭書のような事実があるからといって、たやすく被控訴人に控訴代理人主張のような過失があるとはいえない。

2  また控訴代理人は、被控訴人が控訴人とは無関係な岸本某に対する貸金二〇〇万円の返済を訴外耕治に求めたところ、訴外耕治は控訴人振出名義の約束手形を偽造して被控訴人に交付したことがあるが、被控訴人としてはこのことからも訴外耕治の手形振出権限の有無につき疑念を抱くのが当然であった旨主張し、右の偽造手形の一部であるとして《証拠省略》を提出し、当審証人長井耕治の証言中にも右主張に沿うところがあるけれども、右証言自体、被控訴人が単に口添えしただけの訴外耕治に対し、しかも直接でなく金森を通じて返済を請求するに至った事情が明らかでなく、また当審における被控訴本人尋問において被控訴人は前記証言部分を否定する供述をすることなどからすると、前記証言部分はそのまま措信することができず、したがってまた右各書証をもって控訴代理人主張の右事実を裏付ける資料とすることもできず、他に控訴代理人の前記主張を認めるに足りる証拠はない。

3  更に控訴代理人は、訴外耕治が控訴人の営業と無関係な金融業に手を出し、暴力団員の橋下に利用されて約束手形を振出していることを被控訴人が知っていたからこそ、本件1、2の手形の裏書の際訴外耕治に橋下と手を切るよう注意を与えたものである旨主張し、《証拠省略》中には、被控訴人は橋下が組関係者であることを知っていて訴外耕治に同人と手を切るように勧めた旨の供述部分があるけれども、《証拠省略》と対比してたやすく措信できず、他に控訴代理人の前記主張事実(ただし、訴外耕治が控訴人と無関係な金融業に手を出し、橋下に利用されて約束手形を振出していたとの点を除く。)を認めるに足りる証拠資料はない。

4  《証拠省略》によると昭和五三、四年ごろには、控訴人は本件ホテルの開業費用の債務も完済ずみで、本件ホテルの営業収支は毎月平均約三、四〇万円の黒字を続けており、金融業者から高利の融資を受ける必要はなかったこと、本件手形の振出当時訴外耕治が権限なくして振出した控訴人名義の約束手形が多数の第三者間に流通していたことが認められるけれども、原審及び当審を通じ本件審理に表われたすべての証拠資料によっても、本件1、2、4の手形が振出された当時被控訴人が右認定の諸事実を認識していたとか、又は認識することができる事情にあったことを認めることはできず、かえって、控訴人が本件ホテルの開業資金の大部分を世間一般によくあるような貸付にたよっていた(これを否定する事実を被控訴人が知っていたものと認めるべき証拠はない。)とすれば、右認定の程度の純益だけでは昭和五四年当時まだ控訴人が投下資本の回収を完了できず右の借入債務が残存していても不自然な事柄ではないから、被控訴人が本件1、2、4の手形の振出を受けるにあたっての訴外耕治の説明を信用して控訴人が高利の金融業者から金融を受けることに疑問を抱かなかったとしても、あながち軽卒であったとはいえない。

六  被控訴人主張のとおり本件1の手形が呈示期間内に支払場所で呈示されたが支払を拒絶されたことは当事者間に争いがないところ、《証拠省略》によると、本件1、2の手形には、被控訴人主張のとおりの島栄以降の連続ある裏書があること、被控訴人は本件1、2、4の手形を受戻して現に所持していることが認められる。

七  (結論)そうすると、控訴人は被控訴人に対し、本件1、2、4の手形の振出人としての責任を免れることはできないから、被控訴人の本件請求中、右手形金合計六〇〇万円及びこれに対する各支払期日(本件1の手形金一五〇万円については昭和五四年九月一七日、本件2の手形金二〇〇万円については同年一〇月一七日、本件4の手形金二五〇万円については同年一一月一五日)以降各支払済に至るまで年六分の割合による法定利息の支払を求める部分は正当として認容すべきであるが、控訴人は本件3、5の手形の振出人としての責任を負うべき理由はないから、被控訴人の本件請求中右手形金及びこれに対する法定利息の支払を求める部分は失当として棄却すべきである。

よって右判断と異なる原判決を変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 唐松寛 裁判官 奥輝雄 野田殷稔)

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